10分ほど並んで受付を終了し、一応荷物を指定の場所に入れる。
寝袋は布団が間に合わない時に安眠できるように持参してきたので後で場所を変わるかもしれないと受付で告げられたので、仮に荷物だけを蚕棚ベッドに置いてビールを呑みに広場に出る。 目の前には蛭が岳につながる尾根がグラマラスにつながっている。
次はそっち方面へ出かけてみたいなぁとかいろいろと考えながら1本目のビールを飲み干す。
後ろからいろんなグループの会話が聞こえてくる。時折「妙高」とか「黒沢ヒュッテ」とか聞いたことのある単語が交じって聞こえる。よ〜く聞き耳を立てていたら、今日のこの小屋の混雑具合は黒沢ヒュッテに匹敵するかもしれないという話題なのだ。
黒沢ヒュッテは詰め込みすることで有名らしく、あそこと同じ状態になったらまず満足に眠れないという保障付きなのだそうだ。実際に行ったことがある人たちの話題なので、きっとそうなのだろう。
しかし、小屋を使ったことのない自分としてはどの程度すごいことなのか全く見当もつかない。自分はシュラフがあるから土間でもどこでも寝りゃいいやと思っているので現時点では他人事。
2本目のビールを呑み終える頃、どこからか「あら〜富士がきれいだ!」 という声が聞こえてきた。ナニナニ?とばかりにそちらへ行くと日没近くなって霞がかった空に綺麗な稜線が見えてきていたのだ。たくさんの人がデジカメのシャッターを切り始めた。
そうこうしているうちに早々と夕食の番となった。時間は5時半。病院並みの時間の早さだ。
思っていたよりもきちんとおかずとご飯や小鉢にお汁がついている。パイナップル缶のデザート付きだ。さっきビールでお腹がいっぱいになっているせいでご飯のお代わりという気にもなれず、大人しく食事を終える。量も味も満足のいくもので感謝感謝。
時はまだ午後6時。さて、これから何をするか・・・・・再びカメラを持ち出し、三脚をつけて日没後の富士を撮り続ける。夜景と一緒になるようにと思ったが、ちょうど樹林と重なって思うように撮れずとりあえず富士ばっかり撮っていた。
暗闇の中での撮影を終わらせて部屋に戻ってみると、すごいことになっていた。
受付前と休憩室、2F寝室へ上がる階段、自分が荷物を置いた場所のあらゆるところへ人が座っていて、先に入ったはずの自分の居場所すら見つからない。
人を掻き分けて荷物の主であることをPRしてようやく自分の座る場所を確保して、うとうと居眠りをしているとどこからともなく「もしさぁ、北アルプスと同じようなことになるんだったら、一枚の布団に3人とか4人寝ろって言われるんだろう?場合によっちゃさぁ発電機の横まで寝かされるような小屋もあるっつうじゃん。今日ってそれっぽくない?」という会話が聞こえてくる。
パッと見は逮捕されたデモ集団か、難民キャンプのようである。みんなどうやって寝るのか、ちゃんと寝場所はあるのか(座ってだけいる人は寝場所を指定されずにただ待っているだけ)不安なのがモロに表情に現れている。
結局、8時過ぎた時点で石井オーナーが自らやってきて「今日は申し訳ございませんが、一枚の布団に3人ずつ寝ていただきます。そうしないと寝られない方が出てきます。ご協力よろしくお願いします。はい!そこの人早く起きて。互い違いに寝て。違うっ!貴方はそっちの布団に、そう頭はこっち。そうそう。隣のお姉さん、詰めて。早く、もうモタモタしない!」となんとなくダルイ雰囲気になっていた寝室を快刀乱麻でバッチリみんなが眠れるように段取りをしてくれた。
さて、そうなって収まったは良いものの寝ている3人に1人くらいの割合で「オイルサーディンの気分だ・・・」と言っている。それもそのはず定員の8割増しくらいは入っているんだろうから。正確に何人が小屋にいるのかわからない。
早く寝床の場所を確保できた僕はシュラフを出す場所すらない、と言われ、まったく知らない青年と足と頭を横に見ながら一枚の布団を分け合っていた。
そんな時間帯になってもまだ食事の順番が来ていない人たちがいるらしい。石井オーナー曰く「連休の初日というのはこういう状態になるので、本当は一日ずらして来てもらえるとゆっくりしてもらえるし、余裕でこちらも対応できるんですよねぇ〜、でも皆さんがどうしても今日って言うんでねぇ、ごめんなさいね!」だそうだ。
大体は下山してから一日余裕をとって会社へ復帰するというパターンで3日連休があれば前半二日を山行、最後一日を休養日にしたくなるのだが、オーナーは「丹沢は翌日一日休むような山ではありませんからっ!」とバッサリ。
だから、連休があったら後半に引っ掛けて来てください、という理屈なのだそうだ。もう少し体力つけてそのパターンになれる・・・・・か?無理だ。 |